先日、年末に88歳で亡くなった、九星気学の師匠のお宅のお線香をあげに行ってきました。
70を過ぎてからパソコンを勉強し、自分でホームページを制作したり、猟や盆栽、投資の腕前もプロ並みで、なくなる1年前には、昔関わっていた気学寺からこわれて住職に返り咲いたりと、面白い人生を歩まれた方でした。
気学の講義では、実体験をたくさんまじえて話してくださり、人生勉強をさせていただきました。
遺影にごあいさつしましたが、まだ全然実感がないです。
「本人もまだ、信じられないんじゃないのかな」って義娘さんもおっしゃってました。
ところで、人ってやっぱり、死ぬんですよね。
最近かんじるのは、「自分」なんてすごろくの駒みたいなものだ、ということ。
私は死後の世界もあると思ってますが、そこでの存在はもうこの「自分」とは違うものになっているはず。
つまらない世間体とか、実は不確定な常識だとかにとらわれて、せっかくの表現媒体である「自分」をらしくない状態におくのはもったいないし、40すぎたらなおさら、そんな時間はないと思うんですよ。
「自分」をワクワクする方向に、好きなように仕立て動かして、「らしい人生」をまっとうしたいと思います。