先日、縁側でボーッとしていて、ふと考えた。
人って、一生に何回引っ越しをするのだろうと。
私事で振り返ったら、結構な回数だった。
幼児期に一回、高校生の時に家を建てて一回、その間、入院やら、サナトリウムやらに無数に暮らして、案外実家にがっつり住んでいなかった。
それから、東京で予備校に通うという大義名分のもと、田舎から事実上の出奔(笑)。
東京で初めて住んだのは、板橋区。
上下2世帯しかない、真っ白い新婚タイプの新築コーポラスの二階だった。
陽当たりも良く、眺めも良く、私はここで、人生リセットしてやり直すんだと決意した。
この部屋は、人生において、いろんな変化が起きた住まいだった。
受験とか大学とか、大都会での新鮮な暮らしとか。
次に住んだのはほぼ目白と西池の中間。
大学に激近で、最寄駅は池袋と目白で便利だった。
目白庭園やら徳川記念館やら自由学園があって、環境はとても良かった。
そして、この部屋は若気の至りか、住んでみたかったコンクリート打ちっ放し、天井三角ガラス張り(月が真上に見える)スタジオライトみたいな照明が垂れ下がる、いきった物件だった。
バブル期に造られたデザイナーズハウスだったが、「お洒落だけど、住みにくい」という不動産屋のアドバイスもなんのその、値切りに値切って破格で借りた。他の住んでいる人には絶対に家賃は言わないという約束で。
みんなバブル期に入居したので、私の倍値を払っていたらしい。
ここは、いろんな意味で男運がある物件だった。
入れ替わり立ち替わり…?とまではいかないが、私も若かったのでご想像におまかせしまっす。
それから世田谷区桜新町に。サザエさんには何も思い入れはない。
仕事仕事の毎日だったので、帰って寝るだけの部屋だったような。
ここが東京でのラストだった。
いろんなことがありすぎて、郷里に帰ろうと決意。
引っ越し当日、引っ越し業者は4トントラックで来てくれたのだが、私のあまりの荷物の少なさにビックリしていた。「女の人は普通荷物多いんですがねー」。確かに最小限の家電とマットレス、本、そこそこの服、小さいチェスト1つという荷物だった。
なんだろうねえ。流行りの?ミニマリストの走りだったのかねえ?
ま、そんなこんなでまさかの茨城へUターン。
実家に戻ったわけだけれど、初めて親とがっつり暮らしたのはこの10ヶ月だったかもしれない。
ほどなく結婚し、家が建つまで、近くのマンションへ引っ越し。女子の交換留学生やキャディさん達が住む女子限定物件だった。国際色豊かな不思議なマンションだった。
そして新居が落成。最後になるはずの引っ越しを終えた。
「私、やっと定住出来るんだぁ」という深い安堵感とともに、しばし新しい木の匂いに包まれて感動していたっけ。
そこに住んではや17年。
家もいい感じに歳をとっていく。
私もいい感じに歳をとれているかしら?
そして最近感じる、「果たしてここが終の棲み家なんだろうか?」と。
「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人とすみかと、またかくの如し」。
方丈記の冒頭をしみじみ考える私でした。
ちなみ鴨長明は間取りオタクだったんだよ。