初雪が降ったある日の午前中、娘の毛糸パンツを毛玉取り機でシャーシャーやっていたら、ふと、なんとも言えない幸せを感じた。
幸せは、いつもそばにあまりに何気なくたくさん転がっているので、ちょっと忙しかったり、何か集中しなければならない事案があると、つい見逃してしまう。
コタツが暖かいとか、文庫本を読み終わったとか、昼御飯の納豆が美味しかったとか、小さな幸せは探せばいくらでもある。
それこそ眠りにつく前に、今日も自分や、家族みんな無事に過ごせて良かった、と思うときは幸せ過ぎるほどだ。
もちろん、人それぞれ人生に問題はあるだろう。
経済的に苦しいとか、病気だ、とか、何かの問題に直面しているとか。
でも、その点においては、問題は抱えているけれど、その他はノープロブレムだよ、って、そんな考え方をするようにしてみてはどうだろうか?
すると、人生そのものがまるごと、不幸になることは決してない。
「今、仕事はうまくいっているとは言えないけれど、健康は特に問題ないし、そのほかはハッピーよ」。
こんな風に考えると、妙な力みや悲壮感は不思議と消えていく。
人生は海と同じで一部分の汚れですべて汚れているわけではない。
ほかの大部分はきれいなのだ。
そんなふうに考えていると、日々の気持ちに余裕が生まれるし、自分の周りにたくさんある小さな幸せや大きな幸せに気づくことができるのだ。
その幸せのかけらを集めながら、毎日ぼちぼち、風景を楽しむように生きていけたらいいな、と思う。
当たり前のことだけれど、ささやかな日常を大切にできるオトナでいたい。