娘が中学生になってから、友達同士だけで電車に乗って、水戸に遊びに行くようになった。

私の場合、水戸に親なしで行くようになったのは、小学校低学年だった。
それに比べるとかなり遅い水戸デビューだけれど、だんだん親離れしていくんだなと、ちょっぴりさみしい気持ちと、どんどん行けよ、という気持ちがないまぜになって複雑な気分だ。

水戸デビュー、というのは私の住んでいる茨城県では、都会に遊びに行くことを意味する。
これができれば、東京デビューも間近なのだ。

私が東京へ友達と行ったのは、小学校高学年。
原宿、表参道が初めてだったと懐かしく思い出す。
当時はブランドブームで、できるかぎりのお洒落をして行った。
私は黒ずくめで友達が白ずくめ。
今思えばイキがっていたなあ(笑)。

その友達は残念なことに数年前に病気で亡くなった。
当時の東京行きのワクワクドキドキした彼女のとびきりの笑顔を今でもはっきり思い出す。

まさか彼女が若くして死ぬ運命にあるとは、知る由もなかった無邪気な年頃だった。

話が少しそれてしまったので元に戻すと、田舎には都会に行く、という特別なイベントがあるのだ。
昔は電車で、今は高速バスが便利だ。

田舎の子はそうやって、都会にぼちぼち遊びに行っているうちに、本当に都会に行ったきりになるか、地元に根ざすかに分かれる。
私は行ったきり、のはずだったのだけれど…。

茨城から出て、東京に住むようになったのは、浪人生の時からだった。
何も考えてない、可能性だらけだと思い込んでの出奔。
好奇心で胸が高鳴った。
色々なしがらみをかなぐり捨てての上京だった。

それから私は予備校を経て大学へ進学。
田舎での病弱だった私は嘘のように元気になってしまった。

やりたい事をやって、行きたいところに行って、食べたいものを食べて、見たいものを見て、恋愛して、旅して、働いて。

充実した青春?を謳歌したと思う。
人生で貴重な時間だった。

それから色々あって考えた末、私は故郷に戻った。
出奔から帰郷まで怒涛の時間だった。

ふと、どんどん外へ出ていく娘を思う。
彼女はどんな未来を選んで切り開いていくのだろう。

親にできることは、経済的援助、ちょっとしたアドバイス、そして待つ事しかないなと、この頃思う。

何を待つかって?
幸せになった娘を見る時を待つのだ。