私は新米カウンセラーだ。
現在クライアントは3人しかいない。
昨年はもう1人いたのだが、問題が解決に向かったので音沙汰がなくなった。

クライアントはさまざまな人達だ。
人づてに私の名刺をもらった人、友人が紹介してくれた人。お店に置いてもらった名刺を見て連絡してきた人。それから友人。

私には守秘義務があるので、事情は言えないが、人はそれぞれ大きな悩みを持っている。
耐え難いこと、乗り越えられそうにないこと、絶望的なこと。

はたから見れば、幸せそうに見える人ほど、抱えているものが大きいかもしれない。

どんな話でもじっくり聴く。
頭をフル回転させて聴く。
この人の苦しみは何なのか、
悲しみは何なのか。

悩みの大小は関係なく、その人の懊悩に真剣に寄り添う。

もしかしたら、カウンセラーには何もできないかもしれない。
ただひたすら、クライアントの話に耳を傾けるだけだ。
そして、クライアント自身が、自分の気持ちを言葉にすることによって、気持ちの整理ができるように、共感していく。

一回のカウンセリングで、クライアントが少しでもカタルシスを感じてくれればいい、と願っている。

しかし私はまだ経験が浅いから、たまにクライアントの話を聴いていて、もらい泣きをしそうになってしまう。

本当はそこまでクライアントに感情移入してはいけない。
カウンセラーは何事も冷静に受け止めなくてはならないから、その点で私はまだまだぺーぺーである。

私自身のことだが、うつや大病を経験しているからこそ、実感として苦しさ、生き辛さを知っているので、その点は強みかもしれない。

カウンセリングでは常に冷静を心掛けているが、それでもクライアントの苦しみにひっぱられてしまうことがままある。

カウンセリングの辛い内容に、正直潰されそうな気持ちになる時があるのだ。

そういう時は、自然の中を歩く。
そして自分自身をフラットな状態に戻していく。
バランスをとるのはとても重要だ。

クライアントにもカタルシス。
自分にもカタルシス。

少し生臭い話だが、カウンセリングの対価は難しい。地方では都心より少し安くなるが、1時間程度でだいたいいくらと相場が決まっている。

だけど、私の場合、会って話をすることもあれば電話やメールでカウンセリングをすることもある。

なので、金額をハッキリ言えなくてクライアントにお任せしてしまう。
しかし不思議なことにだいたい相場程度の対価が返ってくる。

本当はそこらへんはきちんとしなくてはいけないのだろうが、私はいくらでもとても嬉しいし、有難いと感じている。
何かしら相互間に作用があったしるしなのだ、と。

人の悩みに向かい合うのではなく、横にいて寄り添うこと。

それが、今時点での私のカウンセリングの目指すところだ。