「まんなか」世代のみなさんこんにちは。

某酒場にて、
「家に居場所がない」とこぼす同僚の背中を、
「わかるよ」とやさしくさすりながら頷いているウサ夫です。

でも、よくよく同僚の話を訊いてみると、
居場所がない理由は子どもの受験だというじゃありませんか。
てっきりウサ夫と同じ理由で家に居づらいのかと思って同情したのに。

え?おまえはどんな理由かって??
それはですね、DAI語で言うと、「A・S・N」から!

同僚によれば、
兄妹で大学と高校のダブル受験とのこと。
兄は浪人中、妹は志望校にギリギリの成績だそうで、
奥さんもピリピリしてしまい、毎日家の中がお通夜のようなんだとか。

「夫婦の会話もひそひそ声だし、もちろんテレビなんて絶対ダメだし。
この間なんか寝ててちょっとイビキかいただけで、『出て行ってくれない?』だぜ?
やってられないよぉーー」

焼酎をあおると、同僚は洟をすすりながら言いました。

「うちの子がもし、ウサ夫ん家の子どもくらいの年齢に戻れるんなら、
もういちどやり直したいよ。こんなことになるんだったらさ、
小学校にあがるまえからしっかり幼児教育でもしとけばよかったよ」

ただの酔っ払いの愚痴といえば、そうかもしれません。
でもこの同僚の愚痴には、案外無視できない真実が含まれていると思いました。

「まんなか世代」のみなさんの中にもお子さんをお持ちの方がいらっしゃるでしょう。
ウサ夫にも小学生と未就学児童の子どもがいます。

では、ここで問題。
以下の設問にみなさんならどう答えますか?

問1: 子どもをごほうびで釣るのは正しい?それとも間違っている?

さて、どうでしょう。
それはその家庭の方針によるんじゃないかって?
いえいえ、実は上記の質問には正しい答えがあるんです。

慶応大学で教鞭をとる中室牧子さんが書いた
『学力の経済学』(ディスカヴァートゥエンティワン)は、
教育経済学の手法を使って、教育についての世間の思い込みや誤解を
次々と粉砕してくれる目からウロコの一冊。

教育経済学というのは、
教育を経済学の理論や手法を使って分析する
応用経済学の一分野で・・・・・・といってもなんのことやらよくわかりません。
要するに、エビデンス(Evidence 科学的根拠)に基づいて、
教育についてあれこれ正しい方策を考える学問分野のこと。
思い込みよりもデータに基づいて判断するということですね。

中室さんによれば、上記の質問には
ちゃんとデータに基づいた正しい答えがあるそうです。

答え: 子どもをごほうびで釣るのは、「正しい」

人間には、遠い目標よりも、目先の利益を優先させる性質があります。
それゆえに、目の前に人参をぶらさげること(経済学では「インセンティブ」といいます)は大変効果的なのだそうです。

ただ、ごほうびの与え方にちょっとしたポイントがあります。
では、次の質問にはみなさんはどう答えますか?

問2:テストで良い点をとったらごほうびをあげるのと、本を読んだらごほうびをあげるのと、効果的なのはどっち?

こんどはどうでしょう。
両者の違いがわかりますか?

答え: 「本を読んだらごほうびをあげる」ほうが効果的

テストで良い点をとるというのは言ってみれば「アウトプット」に属することで、一方、本を読むのは「インプット」にあたること。
ここでポイントになるのが、
インプットはやるべきことがはっきりしているのに対して、
アウトプットはどうすれば学力があがるのかよくわからないことです。
このため、インセンティブに釣られてより意欲的に取り組めるのは、
やらなければならないことが明確な「本を読む」のほうになるわけです。

この他にも、
「ゲームは子どもに悪影響を与えるか」、
「勉強しなさいと言うのは正しいか」、
「少人数学級で学力はあがるか」
など、親なら誰もが知りたいであろう事柄に
明瞭なジャッジが下されます。

子育てというのは手探りであるがゆえに、
親も時にどうしていいかわからなくなって、
その結果世間に出回るさまざまな情報に振り回されたりするものですが、
この本を読めば、
少なくとも子どもの勉強にまつわるいくつかの事柄には
今後頭を悩ませる必要がなくなるでしょう。

さて、同僚が愚痴まじりに言っていた
「幼児教育をしておけばよかった」ですが、
これは果たして正しいのでしょうか?

「子どもの教育に時間やお金をかけるとしたらいつ頃がいいのか」
というのも親たちの関心事でしょう。

この設問への答えは、
「子どもが小さいうちに行うのが正しい」

もしかするとショックを受けた人もいるかもしれません。
でも、だからといって、
「明日から子どもを学習塾に通わせねば」と考えるのは早計です。

この『学力の経済学』に書かれていることの
本当に大切な部分は実はここからなのです。

ゲーリー・ベッカーというアメリカの経済学者をご存知でしょうか。
彼は「人的資本(Human Capital)」という考えを経済学に応用した業績で、
1992年にノーベル経済学賞を受賞しました。(2014年に83歳で死去)

人的資本というのは経済学の用語で、人間が持つ知識や技能の総称のこと。
わかりやすいのは、学歴や資格ですが、
その他にも、体力や人格なども含まれます。

「子どもが小さいうちから教育をすると効果的」といっても、
これが単に学力だけを指しているのではないことに注意しなければなりません。

幼児教育の重要性を示した有名な研究に、
1960年代から現在に至るまで追跡調査が続けられている
「ペリー幼稚園での実験」があります。

アメリカ・ミシガン州のペリー幼稚園で、
低所得層のアフリカ系アメリカ人の3~4歳の子どもたちに、
極めて質の高い教育が提供されました。
その内容たるや

・幼稚園の先生は修士号以上の学位を持つ児童心理学の専門家に限定
・ひとりの先生が児童6人を担当する少人数制
・午前中に2・5時間の読み書きや歌のレッスンを週に5日、2年間にわたって受講
・1週間につき、1・5時間の家庭訪問

という実に手厚いもの。

運良く入園を許され、
この「ペリー幼稚園プログラム」を施された子どもたちと、
入園できなかった子どもたちのその後を、
約40年にわたって追跡調査した結果、
プログラムを提供された子どもたちのほうが、
学歴や年収、雇用などで、長期にわたって大きな成果をあげたことがわかりました。

ここまでは「そりゃそうだろうな」と思いますよね。
意外なのは(そしてとても大切な点は)ここから。

実は両者のあいだには、
IQや学力テストなどでそれほど顕著な差が出ませんでした。

ではどこで差がついたのか。
それは「非認知能力」と呼ばれるスキルだったのです。

「非認知能力」とは何か。
IQや学力テストのように簡単に計測できる認知能力とは違う、
「忍耐力」とか「社会性」とか「意欲的」といった、
単純には計測できないその人の気質や性格的な特徴を示すものです。

わかりやすくいえば「人間力」ということになるでしょうか。

一歩社会に出れば、学力外の能力が圧倒的にモノをいうことは
みなさんも経験的によくご存知だと思いますが、
これまでさまざまな研究のなかで、この「非認知能力」は、
教育やトレーニングによって鍛えて伸ばせることがわかっています。

著者はこの本の中で、家庭の役割を重要視しています。

アウトプットを生み出すために必要とされるインプットを
経済学では「資源」といいますが、非認知能力を身につけるための資源を、
いかに家庭で供給できるかが大変重要なポイントになってくるのです。

そんな堅苦しい言い方をせず、
もっと簡単に「しつけ」と言ってもいいでしょう。
ちゃんと「しつけ」を受けた人間は年収が高いということも
神戸大学などの研究で明らかになっています。
家庭の力は無視できないのです。

著者は力をこめてこう言います。

「学力は学校だけでは決まりません。子どもが1日のうち少なくとも半分以上を過ごす家庭は、学校と同様に、ときには学校以上に大切な場所なのです。
学校と家庭は、緊密に連絡を取りつつ、情報を交換することがどうしても必要だと思います」

とはいえ、ひとり親などさまざまな事情で、
なかなかそこまで子どもに手がかけられないご家庭もあるでしょう。
この本には、そういった格差を解消するための方策もちゃんと出てくるのでご安心を。
(著者は教員の質をあげるために教員免許をなくすようと提言しています。
えっ?と驚きますが、読めばなるほど、と納得させられます)

著者はデータを収集するために、
自治体や教育委員会、学校など共同研究を呼びかけていますが、
「子どもをごほうびで釣るなんてけしからん」とか、
「教育は数字では測れない」などといった批判を浴びて、
なかなかうまくいかないのだとか。

でも、日々時間に追われながら、
懸命に子育てをしている親からすれば、
切実に知りたいのは、「事実はどうなのか」ということ。
子どもに割ける時間が限られている中、出来れば正しい教育をしてあげたい。

こっちは切羽詰っているのに、
「教育はデータじゃありません、愛なんです!」
とかニコニコしながら言われても、そんなの糞の役にも立ちません。

最後に笑い話をひとつ。

著者があるとき、中間テストを実施したところ、
かなりの数の学生から次のような連絡が相次いだそうです。
「祖母が亡くなったので試験が受けられない。ついては追試を受けさせて欲しい」。

教育経済学者の本領を発揮して著者はさっそくデータをとり始めます。

その結果、
「中間テストと期末試験の日になると祖母の死亡率が異様に高くなること」、
「授業に意欲的に取り組んでいない学生ほど、祖母の不幸を経験していること」、
を明らかにして学生に伝えました。

以来、著者の授業の受講者で、
祖母の死を欠席の理由にする人はただのひとりも現れなかったそうです。

データを活用することで社会は良い方向に変えられる。
ささやかな事例のひとつです。